タイの青春映画と日本の青春映画を考察してみる

ただ守りたかっただけ

少年が犯した過ち

青春、この時期というものは時に自身の心内を制御できなくなる時もある。10代、この時代は自分は何でも出来ると思っていると同時に、何が何でも守らなければならないと、世間を知らないが故の幼さゆえに取り返しの付かない過ちを犯してしまうこともある。この作品は青春映画としては非常に切なく、そしてその理由もただ純粋に守りたかっただけという殺人を犯してしまった少年の話となっている。一時期話題騒然となった『青の炎』、作品のタイトルだけでも聞いたことがある人は多いだろう。

今頃になって気づいたのだが、こちらの作品を執筆したのが問題作として名高い悪の教典を始めとしたホラー小説を書かせたら右に出るものはいないと言われる『貴志祐介』氏による作品だった。結構衝撃的だが、言われて妙に納得もしてしまった。この作品内で主人公として活躍する少年は、青い炎の九条たちのような不良ではなく、学校でも指折りの優等生として見られていた模範的な男子学生だった。そんな彼が殺人を犯してしまう、切なく守りたかったもののために、そして自分の考えた犯罪がバレることはないという自負を持って計画を進めた。

しかし事態は彼の予想を遥かの超えたスピードで展開していく、という話だ。では作品について、考察を加えながら話をしていこう。

作品概要について

あらすじ

湘南の高校に通う17歳の少年、櫛森秀一は母親と妹の三人で仲良く暮らしていた。裕福ではないが家族三人の穏やかな生活がいつまでも続くと思っていた時、それは突如として崩れてしまう。突然現れた母の元夫である曽根、彼の登場により家族が一変してしまう。母に対して一方的な暴力を仕掛け、あまつさえ妹にまで手をあげようとする行動に秀一はどうすればいいのか考えた。しかし法律や警察では解決できない事を知る、解決策はないのかと考えていると彼はある1つの計画を思いつく。何とか出来ないのなら、自分で何とかしてしまえばいい。この瞬間、秀一は曽根を自らの手で殺害することを決意するのだった。

秀一は持ち前の頭脳を駆使して緻密な計画を練っていき、完全犯罪を企んでいく。すべての準備が整い、秀一は曽根を殺害する事に成功する。完全犯罪が成立した、これでようやく平和な時間が戻ってくる、そう信じていた。しかし17歳が企んだその計画は一見すると誰も疑いようのないものだったが、確かに綻びが存在していた。やがてそれは大きな穴となり、秀一自身を追い詰めていく事になっていく。

少年の願った先には

貴志祐介氏の作品といえば鮮烈な程の猟奇的とも、狂気的とも取れる殺人者が表現されている。悪の教典然り、彼の作品では随一の恐怖が凝縮されているとも言われている黒い家に然り、殺人を犯す彼らには真っ当な常識観など存在していない。しかしこの青の炎における殺人者である秀一は違う、殺すための理由として家族を、母と妹を守りたかったという思いが込められていた。

機転が冴えており、自分の行う過ちをよく理解していたこともあり、自分の完璧と思われていた計画が1つずつその矛盾点が暴かれていく中で、彼の良心は心を突き刺していく。やがてすべての真相が暴かれる寸前まで追い込まれると、恋人に自分の犯罪を告白した。恋人は驚く様子もなく淡々と受け入れるが、そのやりとりがまた切なく胸を射つ。

ただ元に戻りたかっただけだった、殺したくて殺したわけではない、そうするしか手段がないと思った果てに見た少年の最期に涙した人も多いはず。現在まで語られている貴志祐介氏の作品の中でも、名作と言われるくらい切ない殺人者として表現されている。

17歳の凶行

映画が公開された当初、何かと17歳の少年による犯罪が取り上げられていた時期でもあった。17歳になったらこんなことをするのか、などと偏見も出たほどだ。青の炎についても例外ではないが、社会状況において17歳という年齢がピックアップされていたため、参考とした可能性は大いに高い。ただ作者の作品を見ると、青の炎における秀一という殺人者と悪の教典に出てくる蓮見や黒い家で登場する幸子とは全く別物だ。殺人を犯した理由についてもそうだ、秀一は母と妹を守りたかったからという理由がある。しかし後者の2人はサイコパスという精神欠乏症を患っていたため、殺人を犯しても良心が咎めない異常者として描かれている。どちらも作品内では自分の目的を邪魔するなら迷うこと無く殺害している、それこそ笑いながらだ。

青の炎という作品を見ると、本当に同一の作者が描いているのかと疑ってしまいたくなる。秀一のしたことが認められるわけではない、それしか無かったと語っているが他に出来る事は本当に無かったのか、そんな命題が作品そのものが終焉してもずっと残り続けるような錯覚に襲われる。