タイの青春映画と日本の青春映画を考察してみる

10代だからこそ描かれる葛藤

楽しいことばかりではない

青春時代とはある意味焦燥感に駆られた時期なのかもしれない、何かをしなければならない、何かを為さなければならない、自分は何のために生きているのか、そんなことを考える時期でもある。多感だからこそ見えてくる世界の歪さ、その中で自分は一体どうして行きたいのかを考えてもわからなくなり、ただただ時間が経過していくだけの日々に耐えられなくなる人もいるだろう。そうして絶望し、退屈な日々と将来やりたいことも見いだせず、自分たちがこの先どうなっていくかもわからないままやさぐれて不良となった青少年時代、そんな頃を過ごした人もいるだろう。

日本の青春映画でも、そんなフィクションとも、ノンフィクションとも付かないような現代の闇に翻弄される話もある。ここからはそんな眩しいほどやりたいことで満たされて楽しく日々を過ごしている作品とは違い、終始シリアスな展開で締めくくられている作品を紹介していこう。まず最初に紹介するのは『青い炎』という作品だ、こちらは2002年に公開された作品となっているが不良たちの退屈な日々を充実させるやるせなさが表現されている。ファンからは不良映画の金字塔的存在であるとも称されており、青春映画というカテゴリーの中でも知る人ぞ知る作品となっている。

作品概要

あらすじ

男子校である朝日高校にいる不良グループは屋上に集まっていた。何かをするわけでもなく、目的もなく群れていたが、ある時新3年生となった彼らは屋上の柵の外に立ち、手を何回叩けるかというゲームを行っていた。一番多く手を叩けた人間が学校内を仕切るとしていたが、このゲームは失敗すれば地面へ真っ逆さまとなるデッドオアライブだった。そんなゲームを勝利したのは8回手を叩けた九条という、物静かな不良少年が仕切りを任される。

だが九条にとって学校の仕切りなどどうでも良かった、自分がこれからどうしていけばいいのか、何をしていくのが正しいのかすら分からない彼にとって、今ある現実は全て退屈でしか無かった。そんな九条達不良グループにも否応なく訪れる進路という分岐点、これからどのように生きていけばいいのかわからない九条を、1人心配し続けたのは彼の親友でもある青木だ。彼は九条を心配した、そして九条がこれからも楽しく笑って生きていけるようにある一つの決断をする。正しいかどうかはわからない、青木という少年にとって自分がこれからする行いはたった一人の親友が笑って暮らせるようにするため、その決意により全てが動き出して行く。

やることがない現実

不良に限った話ではないが、この時代は自分の進路に迷う学生が多く出てくる時代でもある。言ってみれば風物詩のようなものだ、誰も答えを提示できるわけでもなく、担任となる教師たちも道標を探せるように手伝うくらいしか手段はない。悩んで悩んで、迷った先に見えてくる進路は何処へと向かっているのか、高校3年という難しい時期には不良であろうとなかろうと迷いを抱く瞬間だ。むしろこの時期に明確にこうするのが自分の道だというビジョンを持っている人の方が珍しいくらいだ。やることがなくてどうしようもない、暇を持て余して時間だけが過ぎてしまうやるせなさに心が押し潰されてしまう人もいるだろう。

この作品の主人公である九条も、不良だが半端な自分はこれからどうやって生きていけばいいのか分からず、無気力に過ごす姿は同世代の人々にすれば共感する部分もあったはず。楽しく過ごす青春であればいい、ですがそうすることが出来ない人もいる現実も確かにあるのです。

友達のために

ネタバレは控えますが、この作品では青木という少年が九条という親友のために体を張ることになります。無気力に過ごし、自分の将来も見えない九条がこの先笑って過ごせるように、自分に出来る事はないのかと考えた末の結末を考えても、それが本当に九条のためだったのかと思う場面でもある。彼のために投げ打ったのかもしれない、彼に生きる意味と目標を見つけてもらいたかったのかもしれない、そうして九条に与えられたのは青木による前を向いて歩くという選択肢だったのかもしれません。

作品を通して行動すべてを定義する事は出来ないが、友達のために自分に何が出来るのか考えた結果だったのだろう。生きる意味を見いだせない少年たち、その中で生きている実感も得られない少年を助けるために友として出来ること、それは彼の中に眠る情動を呼び覚ますことだと行き着いたといったところだろうか。